護王神社(足腰守護・いのしし神社)|どんな福が宿る場所か

京都御所の西、蛤御門の向かいに鎮座し、平安京建都に貢献した和気清麻呂公とその姉・広虫姫命を祀る。道鏡事件で足の腱を切られ九州へ配流された清麻呂公を、山中から現れた300頭のいのししが守護し、足萎えが不思議と癒えたという故事から、足腰守護の信仰で知られる。狛犬の代わりに霊猪像が置かれ「いのしし神社」とも呼ばれる。
この社寺に伝わる願いごと
由緒や資料で確かめられた範囲で、次のような願いごとが伝えられています。
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時のながれ
- 神護景雲3年(769年) — 和気清麻呂公が宇佐八幡の神託を奉じて道鏡の野望を阻止。配流の途上、300頭のいのししに守られ、足の傷が癒えたと伝わる
- 嘉永4年(1851年) — 孝明天皇より正一位護王大明神の神階を授けられる(元は高雄山神護寺境内の霊社)
- 明治19年(1886年) — 明治天皇の勅命により現在地(京都御所西)に遷座。明治23年(1890年)から狛犬の代わりに霊猪像が置かれる
現地の写真






このページで確かめたこと
現地確認/資料照合
2026年8月22日に社頭の看板、鳥居、狛いのしし、霊猪手水舎、招魂樹と座立亥串、そして「足萎難儀回復の碑と神足石」の説明板を撮影しました。その説明板には、和気清麻呂公が足萎の難儀で苦しんでいたところ三百頭もの霊猪が現れて公を護り、公の足萎は不思議と治って立ち歩くことができたこと、この碑はその故事にあやかって建立され、神足石の上に立って祈願することで格別の御神縁を授かり足腰に御利益があると信仰されていることが記されています。境内の「和気清麻呂公と霊猪」の説明板は、この故事の典拠を『日本後紀』巻八とし、拝殿前の雌雄一対の猪を公の随身として説明しています。御由緒の看板は、平安遷都の実質的な推進者が和気清麻呂であること、姉の広虫が藤原仲麻呂の乱で孤児となった八三人を養子としたことを、京都大学名誉教授・上田正昭氏の文章(出典『京都人権歴史紀行』平成十年十一月二十五日発行・人文書院)として掲げています。授与所でいただいたご由緒のパンフレットには、明治二十三年に猪像が建てられて以来「狛いのしし」として親しまれてきたこと、霊猪手水舎は鼻をなでると幸せが訪れるといわれること、座立亥串は二本一組で一本を招魂樹の前に刺しもう一本を持ち帰って神棚や玄関に祀ることが記されています。当サイトは、これらを説明板とパンフレットが伝える内容として紹介しています。
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参考・出典
- 御由緒と御祭神|護王神社
護王神社(公式) - 足腰のご利益|護王神社
護王神社(公式) - 護王神社 - Wikipedia
Wikipedia - 現地説明板「足萎難儀回復の碑と神足石」
護王神社(現地掲示。2026-08-22 撮影確認) - 現地説明板「和気清麻呂公と霊猪」
護王神社(現地掲示。2026-08-22 撮影確認) - 現地掲示「護王神社の主神・和気清麻呂と広虫」(上田正昭/出典『京都人権歴史紀行』平成10年11月25日発行・人文書院)
護王神社(現地掲示。2026-08-22 撮影確認) - 御由緒のパンフレット
護王神社(授与所頒布。2026-08-22 拝受)