日枝神社(皇城の鎮)|どんな福が宿る場所か
文明10年(1478)、太田道灌が江戸城内に川越山王社を勧請したことに始まります。徳川家康の江戸入府後は「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として崇敬され、現在は「皇城の鎮」とも仰がれます。明暦の大火後、将軍家綱が現在地を社地として権現造の社殿を造営し、万治2年(1659)に完成しました。この旧社殿は江戸初期の権現造を代表する建物として国宝に指定されましたが、1945年5月の戦災で、末社の山王稲荷神社を残して焼失しました。復興事業により昭和33年(1958)6月に現在の本殿へ遷座し、神門や回廊なども順次整えられました。宝物殿には徳川将軍家ゆかりの品と刀剣31口が保存され、そのうち国宝1口・重要文化財14口・重要美術品1口が含まれます。拝殿の天井には、日枝神社復興50年を記念して平成20年(2008)に掲げられた、草木・鳥・虫を描く123枚の板絵があります。厄除け、安産、縁結び、商売繁盛などの信仰でも知られます。

この社寺に伝わる願いごと
由緒や資料で確かめられた範囲で、次のような願いごとが伝えられています。
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時のながれ
- 文明10年(1478) — 太田道灌が江戸城内の鎮護の神として川越山王社を勧請しました。
- 天正18年(1590) — 徳川家康の江戸入府後、城内鎮守の社、徳川歴朝の産神として崇敬されました。
- 明暦3年(1657)〜万治2年(1659) — 明暦の大火で社殿が焼失した後、将軍家綱が赤坂溜池を望む現在地を社地とし、権現造の社殿を造営しました。万治2年に完成したこの旧社殿は、のちに国宝へ指定されました。
- 昭和20年(1945) — 5月の戦災で、末社の山王稲荷神社を残して旧社殿が焼失しました。
- 昭和33年(1958) — 復興事業で再建された現在の本殿へ遷座し、その後、神門や回廊などが順次完成しました。
- 平成20年(2008) — 日枝神社復興50年を記念し、百花草木に鳥や虫を加えた123枚の板絵が拝殿天井に掲げられました。
近くの福
- 豊川稲荷東京別院(金の福・約656m)
- 赤坂氷川神社(縁の福・約787m)
- 平河天満宮(江戸三大天神)(学の福・約841m)
- 虎ノ門金刀比羅宮(金の福・約941m)