穴八幡宮(一陽来復御守)|どんな福が宿る場所か
穴八幡宮の由緒は、康平5年(1062)に奥州から凱旋した源義家が兜と太刀を納め、八幡宮を勧請したと伝えています。寛永18年(1641)、山裾を開いた際に神穴が現れ、金色の御神像が見つかったことなどから、穴八幡宮と呼ばれるようになったと神社公式は説明します。一陽来復御守は、冬至から節分まで頒布され、江戸中期から冬至の福神祭で授与されてきた『金銀融通の御守』という呼称を持つ授与品です。この呼称は金銭的な成果を保証する意味ではありません。穴八幡宮には弓馬の歴史もあり、享保13年(1728)に徳川吉宗が世嗣の病気平癒を祈って奉納したことを始まりとする高田馬場流鏑馬は、新宿区指定無形民俗文化財になっています。

この社寺に伝わる願いごと
由緒や資料で確かめられた範囲で、次のような願いごとが伝えられています。
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時のながれ
- 康平5年(1062) — 源義家が兜と太刀を納め、八幡宮を勧請したと神社の由緒は伝えています。
- 寛永13年(1636) — 幕府の御持弓組頭・松平直次が的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀したと神社公式が記しています。
- 寛永18年(1641) — 神穴と金色の御神像が現れたことなどから、穴八幡宮と称されるようになったと伝わります。
- 江戸中期以降 — 冬至の福神祭で一陽来復御守が授与され、『金銀融通の御守』とも呼ばれるようになったと神社公式が説明しています。
- 享保13年(1728) — 徳川吉宗が世嗣の病気平癒を祈り、高田馬場で流鏑馬を奉納したことが神事流鏑馬の始まりとされています。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
2026年9月5日に穴八幡宮公式の由緒・一陽来復御守・流鏑馬の各ページと、新宿区史年表・区指定文化財一覧を照合しました。1062年の勧請、1641年の神穴と御神像は神社に伝わる由緒であり、現代の外部資料で実証された出来事としては扱いません。一陽来復御守の頒布期間と『金銀融通の御守』という呼称は神社公式で確認できます。流鏑馬の1728年起源は新宿区史とも一致し、区指定無形民俗文化財であることも区の一覧で確認しました。御守をまつる日・方角は年によって変わるため、このページでは固定値を掲載していません。現地取材は未実施です。
この節の確認に使った資料
近くの福
- 東京大神宮(縁の福・約2.7km)
- 平河天満宮(江戸三大天神)(学の福・約3.4km)
- 豊川稲荷東京別院(金の福・約3.6km)
- 明治神宮 鎮守の杜(永遠の杜)(木の福・約3.9km)
参考・出典
- 穴八幡宮について
穴八幡宮(一次・当事者公式/社伝) - 一陽来復御守
穴八幡宮(一次・当事者公式) - 神事高田馬場流鏑馬
穴八幡宮(一次・当事者公式/神事由緒) - 江戸時代(1600〜1868年)— 新宿区史年表
新宿区(一次・自治体史) - 新宿区指定文化財一覧
新宿区(一次・文化財行政資料)