愛宕神社(出世の石段)|どんな福が宿る場所か
愛宕神社は、標高約26メートルの愛宕山に鎮座し、主祭神の火産霊命を祀る神社です。神社公式は、慶長8年(1603)に徳川家康の命で防火の神として祀られたと説明しています。正面の急な男坂は「出世の石段」と呼ばれます。その名は、寛永11年(1634)に曲垣平九郎が馬で石段を上り、将軍徳川家光へ梅を献上して馬術の名人と讃えられたという講談「寛永三馬術」の故事にちなむものです。これは神社公式と港区が伝える故事で、港区資料には寛永元年(1624)説もあるとの注記があります。現在の社殿は、関東大震災と1945年の空襲による焼失を経て1958年に再建されたものです。神社は防火・防災、商売繁昌、縁結びなどの信仰を案内していますが、このページは仕事上の成功や願いの成就を保証するものではありません。

この社寺に伝わる願いごと
由緒や資料で確かめられた範囲で、次のような願いごとが伝えられています。
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時のながれ
- 慶長8年(1603) — 徳川家康の命により、防火の神を祀る神社として創建されたと愛宕神社公式が記しています。
- 寛永11年(1634・故事) — 講談『寛永三馬術』では、曲垣平九郎が急な男坂を騎馬で上り下りし、徳川家光へ梅を献上したと伝えます。港区資料は寛永元年(1624)説も注記しています。
- 明治10年(1877) — 江戸期の大火で全焼した後、本殿・幣殿・拝殿・社務所が再建されました。
- 大正12年(1923) — 関東大震災により社殿が焼失しました。
- 昭和20年(1945) — 5月24日の空襲で、太郎坊神社を除く社殿が再び焼失したと神社公式は記しています。
- 昭和33年(1958) — 氏子の寄付により、現在の本殿・幣殿・拝殿などが再建されました。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
1603年の創建、防火の神としての由緒、1923年・1945年の焼失と1958年の再建は愛宕神社公式で確認できます。一方、『出世の石段』の由来は講談で知られる曲垣平九郎の故事です。神社公式は寛永11年(1634)とし、港区も同年の話として紹介しますが、港区は寛永元年(1624)説もあると注記しています。出来事を史実として一本化せず、伝わる故事と年代差を残します。男坂86段という数は港区資料に基づきます。現地取材は未実施です。
この節の確認に使った資料
近くの福
- 虎ノ門金刀比羅宮(金の福・約535m)
- 芝大神宮(千木筥・関東のお伊勢さま)(縁の福・約881m)
- 赤坂氷川神社(縁の福・約1.3km)
- 日枝神社(皇城の鎮)(除の福・約1.4km)
参考・出典
- 愛宕神社について
愛宕神社(公式・一次) - 愛宕神社トリビア(出世の石段)
愛宕神社(公式・一次) - みなとアーカイブ 浮世絵でみる今昔 3 愛宕山
港区(自治体・一次)