狭山神社(半田の大宮)|どんな福が宿る場所か
大阪狭山市半田に鎮座し、「半田の大宮」と呼ばれる神社です。大阪府神社庁は、南海高野線の金剛駅から西へ約200メートルの場所と案内しています。大阪ミュージアムは、格の高い延喜式内社と紹介しています。同じ大阪ミュージアムによると、境内には、もとは狭山池の堤にあった式内社の狭山堤神社も移されており、一つの境内に二つの式内社が並ぶ形と伝わります。大阪狭山市の年表には、狭山神社と狭山堤神社が859年に神階を授けられ、927年の『延喜式神名帳』に大社として記されたことが載っています。池に関わる社が現在の境内へ移った経緯を通して、地域の水辺と信仰のつながりをたどれる場所です。

時のながれ
- 貞観元年(859年) — 大阪狭山市の年表は、狭山堤神社と狭山神社が従五位上の神階を授けられたと記しています。
- 延長5年(927年) — 同市の年表は、『延喜式神名帳』に狭山堤神社と狭山神社が大社として載ると記しています。
- 南北朝時代から室町時代(伝承) — 大阪ミュージアムは、南北朝の動乱で社殿が焼失し、室町時代に再建されたと伝わる神社として紹介しています。
- 平成元年(1989年)11月 — 大阪府発行の『大阪みどりの百選』の一覧に、番号66「狭山神社」として掲載されています。これは冊子の発行年月で、個別の選定日ではありません。
- 令和元年(2019年)8月28日 — 狭山神社所有の『釣燈籠(鉄 鋳造)』が市指定文化財となりました。市の一覧では安土桃山時代の美術工芸品とされ、所在地欄は『半田(非公開)』です。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
『狭山池の堤にあった』という大阪ミュージアムの説明は、狭山堤神社の旧所在地を指します。現在の狭山神社は大阪府神社庁の案内では半田1丁目223にあり、二つの社の来歴と現在地を分けて読むことが大切です。大阪府が平成元年(1989年)11月に発行した『大阪みどりの百選』の一覧には、番号66として『狭山神社』が載っています。大阪狭山市の文化財一覧には、狭山神社所有の鉄製の釣燈籠と、平安時代の社寺跡に分類される狭山神社遺跡も載っています。ただし釣燈籠は非公開と案内されているため、境内でいつでも見学できる品ではありません。859年の神階授与は市の年表に記された出来事で、創建年を示すものではありません。狭山堤神社が現在の境内へ移った正確な年月日と、現在の社殿の建築年は今回の資料では確かめられませんでした。現地取材は未実施です。
この節の確認に使った資料
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの福
- 櫻井神社(上神谷八幡宮)(除の福・約4.8km)
- 多治速比売神社(荒山宮)(縁の福・約5.5km)
- 美多彌神社のシリブカガシ社叢(王森)(木の福・約6.9km)
- 建水分神社(たけみくまりじんじゃ)(水の福・約7.9km)
参考・出典
- 大阪狭山の歴史
大阪狭山市 - 狭山神社|大阪ミュージアム
大阪府・大阪ミュージアム - 狭山神社
大阪府神社庁 - 大阪狭山市内の文化財
大阪狭山市 - 大阪みどりの百選(平成元年11月発行・番号66「狭山神社」)
大阪府