伊勢神宮 内宮(皇大神宮)|どんな福が宿る場所か
内宮の正式名称は皇大神宮で、公式は、皇室の御祖先であり総氏神のように崇められる天照大御神を祀る宮と説明しています。約2000年前に倭姫命が五十鈴川の川上に宮を建てたという鎮座の物語は、公式が『日本書紀』に基づいて紹介するものです。その入口で五十鈴川を渡る宇治橋は、長い参道の始まりにある橋で、伊勢神宮の公式案内によると、現在の橋は2009年11月3日に渡始式が行われました。橋の内側の大鳥居には内宮の、外側には外宮の旧正殿の柱が使われると説明されており、橋の周囲にも社殿を造り替える営みのつながりがあります。橋を渡ると玉砂利を敷き詰めた長い参道が続き、その先が神域とされています。一方、式年遷宮では社殿などを新しくして祭りを受け継ぎます。ここでたどれるのは、2000年前の建物がそのまま残る歴史ではなく、場所と祭りを繰り返し継承してきた歴史です。

時のながれ
- 崇神天皇の御代(伝承) — 豊鍬入姫命が大和の笠縫邑で天照大御神を祀ったと、神宮公式の歴史案内は伝えます。笠縫邑の場所には複数の比定地が挙げられています。
- 垂仁天皇の御代(鎮座伝承) — 倭姫命が諸国を巡り、五十鈴川の川上に宮を建てたという『日本書紀』の物語を、神宮公式が紹介しています。正宮案内では垂仁天皇26年(紀元前4年)と記されています。
- 持統天皇4年(690) — 神宮公式の式年遷宮の説明では、この年に第1回の式年遷宮が行われたとされています。
- 平成21年(2009)11月3日 — 現在の宇治橋の渡始式が行われました。神宮公式は、宇治橋の架け替えを遷御の4年前に行うと説明しています。
- 平成25年(2013) — 第62回の式年遷宮が行われました。宇治橋の渡始式と、神様を新しい社殿へお遷しする年は一致しません。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
内宮の案内は鎮座を約2000年前とし、正宮の案内は垂仁天皇26年(紀元前4年)と記しています。同じ公式サイトによる鎮座伝承の示し方で、別々の調査から同じ年代が確定したという意味ではありません。正宮の説明は、神宮と呼ぶ大きな規模になったのを天武・持統天皇の御代と考え、鎮座の物語と後の建築の歴史を分けています。また、宇治橋の2009年と第62回遷宮の2013年は資料の矛盾ではなく、別の儀式の年です。橋の架け替えが4年前になった経緯も、公式の宇治橋案内に記されています。現地取材は未実施です。現在の工事・通行規制や、柱の再利用を現地表示で確認できる位置は今回確かめていません。参拝の際は公式の最新案内と現地の表示に従ってください。
この節の確認に使った資料
近くの福
- 猿田彦神社(除の福・約1.4km)
- 月讀宮(皇大神宮別宮)(縁の福・約2.1km)
- 伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)(金の福・約4.1km)
- 二見興玉神社(夫婦岩)(縁の福・約8.3km)
参考・出典
- 皇大神宮(内宮)
神宮司庁 伊勢神宮 - 神宮の歴史
神宮司庁 伊勢神宮 - 皇大神宮(内宮)正宮 皇大神宮
神宮司庁 伊勢神宮 - 宇治橋・五十鈴川
神宮司庁 伊勢神宮 - 式年遷宮とは(第63回神宮式年遷宮)
神宮司庁 伊勢神宮