今宮神社(玉の輿・京都)|どんな福が宿る場所か
京都市北区紫野の今宮神社は、994年の疫病鎮めを起源とする古社です。西陣の八百屋に生まれ、のちに五代将軍綱吉の生母・桂昌院となった「お玉」ゆかりの社として知られます。公式由緒は、従一位まで昇りつめたことが「玉の輿」の語義の起こりともされると紹介し、同じページには「玉の輿守」の名も見えます。桂昌院は社領を寄進し、社殿の修復や祭鉾の新調にも力を尽くしたと伝わります。そのつながりは、現在も今宮祭で巡る、桂昌院寄進とされる御牛車にも表れています。一方、京都十六社の案内によると、本社殿は明治29年の焼失後、明治35年に再建されました。古い祈りの由緒と、再建を重ねてきた建物の歩みを分けてたどれる場所です。

時のながれ
- 正暦5年(994) — 神社公式の由緒では、疫神を祀る神輿を船岡山に安置し、疫病鎮めを祈ったとされています。
- 1001年 — 疫神を船岡山から現在地へ遷したと公式が伝えます。京都十六社の案内は、この時に新しい三つの神殿とともに今宮社と名付けられたと説明しています。
- 元禄7年(1694) — 京都十六社の案内では、桂昌院が荒廃した社殿の造営などに努め、祭礼も盛況を取り戻したと伝えられています。
- 明治29年・明治35年 — 京都十六社の案内は、明治29年に本社殿が焼失し、明治35年に再建されたと記しています。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
公式の「玉の輿」の説明は、見出しでは語源とし、本文では語義の起こりともされると留保しています。確定した語源というより、桂昌院に結び付いた由緒として読めます。また、同じ歴史ページ内の1001年には「長保3年」と「長保元年」の二つの表記があります。京都十六社は長保3年としていますが、この違いの理由は今回確かめていません。
境内の現況は現地で確かめていません。御牛車や桂昌院のレリーフを通常の参拝で見られる範囲、当年の祭礼の運行状況は未確認です。
この節の確認に使った資料
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
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