亀戸天神社(東国天満宮の宗社)|どんな福が宿る場所か
亀戸天神社は菅原道真公を祀り、神社公式が「東国天満宮の宗社」と説明する神社です。公式の縁起では、正保3年(1646)に太宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐が、道真公ゆかりの飛梅の枝で天神像を刻み、社殿の建立を志したことに始まると伝えられます。その後、日光や盛岡など諸国をめぐったのち、本所亀戸村の小さな祠へ天神像を祀ったと神社公式は説明しています(亀戸へ至った年は示されていません)。明暦の大火後、徳川幕府から現在地を寄進され、寛文2年(1662)に太宰府にならった社殿・回廊・心字池・太鼓橋が整えられました。現在、心字池に架かる三つの橋は過去・現在・未来を表すと神社公式が案内しています。江東区の文化財資料では、境内の藤が江戸時代から知られ、1915年に藤15株を奉納した際の碑が現存することも確認できます。学問の神様への信仰を伝える場所ですが、合格や成績向上を保証するものではありません。

この社寺に伝わる願いごと
由緒や資料で確かめられた範囲で、次のような願いごとが伝えられています。
押すと、同じ願いごとが伝わる場所を地図で探せます。ご利益や効果を保証するものではありません。
時のながれ
- 正保3年(1646・縁起) — 菅原大鳥居信祐が道真公ゆかりの飛梅の枝で天神像を刻み、社殿の建立を志したと神社公式は伝えます。
- その後(年は不詳) — 日光や盛岡など諸国をめぐったのち、本所亀戸村の小祠へ天神像を祀ったと神社公式は説明しています。亀戸へ至った年は示されていません。
- 寛文2年(1662) — 幕府から寄進された現在地に、太宰府の社にならって社殿・回廊・心字池・太鼓橋などが整えられました。
- 明治6年(1873) — 東京府社となり、社号を亀戸神社としました。
- 大正4年(1915) — 大正天皇即位の大礼の日に藤15株が奉納され、現在の藤樹奉献碑が建てられました。
- 昭和11年(1936) — 現在の『亀戸天神社』を正式な社号としました。
- 平成3年(1991) — 藤樹奉献碑が3月28日に江東区の登録文化財となりました。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
創建の起点は1646年の天神像の彫刻までを縁起として紹介し、亀戸へ至った年は決めずに『その後』として分けます。1646年の天神像と飛梅の枝の話は、亀戸天神社が伝える縁起です。神社公式は、彫像のあと諸国をめぐって亀戸に至った経緯を続けて説明しており、亀戸到着や祠への奉斎の年は示していません。1662年の社殿・心字池・太鼓橋の造営、1873年と1936年の社号の変化は神社公式で確認できます。江東区の資料は、江戸時代から藤の名所であったこと、1915年の藤15株奉納と碑、1991年の文化財登録を補います。『東国天満宮の宗社』は神社公式による宗教上・由緒上の位置付けで、行政が認定した等級とは扱いません。現地取材は未実施です。
この節の確認に使った資料
近くの福
- 今戸神社(縁の福・約2.4km)
- 水天宮(日本橋蛎殻町)(縁の福・約3.8km)
- 富岡八幡宮(江戸最大の八幡様)(除の福・約3.9km)
- 小網神社(強運厄除・東京銭洗い弁天)(除の福・約4.1km)
参考・出典
- 御祭神・由緒
亀戸天神社(公式・一次) - ご参拝のご案内(境内案内)
亀戸天神社(公式・一次) - 藤樹奉献碑・大正4年在銘
江東区(文化財行政・一次)
🌙 この土地の痕跡
同じ土地の、歴史の側の顔です。
- 「亀戸」の地名由来(亀ノ島と亀ヶ井)神社の由緒とは別に、亀戸という地名がどのように説明されてきたかを資料からたどっています。