伊居太神社(穴織宮・上の宮さん)|どんな福が宿る場所か
伊居太神社は五月山の麓に鎮座し、池田市観光協会が市内に現存する最古の神社と案内する古社です。別名を穴織社といい、応神天皇・仁徳天皇・穴織大明神を祀ると同協会は説明しています。池田に伝わる織姫伝説では、穴織を祀る『上の宮さん』とされ、呉織を祀る呉服神社の『下の宮さん』と対をなします。池田市の歴史文化基本構想は、この伝承を『日本書紀』応神天皇37年条の縫工女の記事を題材にしたものと考えています。本殿は信長の兵火後、慶長9年(1604)に豊臣秀頼が再建したと伝わりますが、同構想は現在の本殿を18世紀の再建としています。したがって、現存本殿そのものを1604年建築とはしません。

時のながれ
- 古代の物語 — 『日本書紀』応神天皇37年条の縫工女の記事が、池田のクレハトリ・アヤハトリ伝承の題材になったと池田市の文化計画は考察しています。
- 慶長9年(1604) — 信長の兵火後、豊臣秀頼が本殿を再建したと伝わります。ただし現在の本殿はこの時の建物ではありません。
- 元禄10年(1697) — 池田市の文化計画によると、『池田村絵図』に穴織大明神社の名で記載されています。
- 元禄14年(1701) — 『摂陽群談』で穴織神社として紹介されたと池田市の文化計画が記しています。
- 18世紀 — 池田市の文化計画は、現存する本殿をこの時期の再建としています。
- 寛政10年(1798) — 『摂津名所図会』に穴織神社として紹介されたと池田市の文化計画が記しています。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
2026年9月5日に池田市観光協会のスポット案内・織姫伝承コースと、池田市『歴史文化基本構想』を照合しました。観光協会は『本殿は信長によって焼かれ、秀頼によって1604年に再建』と案内します。一方、市の歴史文化基本構想は1604年の再建を記したうえで、PDFの116ページ(冊子110ページ)で『現在の本殿は18世紀の再建』と明記しています。このため当ページでは1604年を再建伝承、現存本殿を18世紀の建物として分けます。本殿の説明も資料ごとに異なり、観光協会のスポット案内は『寄棟造り』、織姫伝承コースは『五間社流れ造り桃山時代建築の遺風を残す』と紹介しています。また、同構想のPDFの114ページ(冊子108ページ)の表『本殿などの文化財指定、登録に向けた検討』によれば、市の指定文化財は『元禄10年池田村絵図』であって本殿ではありません。現存本殿の具体的な再建年は今回の資料では未確認です。現地取材は未実施です。
この節の確認に使った資料
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの福
- 呉服神社(くれはじんじゃ)(金の福・約860m)
- 阿比太神社(あびたじんじゃ)(除の福・約2.9km)
- 箕面大滝(水の福・約5.0km)
- 勝尾寺(かつおうじ)(金の福・約7.2km)
参考・出典
- 伊居太神社(いけだじんじゃ)
池田市観光協会(公的二次・地域公式観光情報) - 織姫伝承コース
池田市観光協会(公的二次・地域公式観光情報) - 池田市歴史文化基本構想
池田市(一次・自治体文化計画)