積川神社(つがわじんじゃ)|どんな福が宿る場所か
岸和田市積川町の積川神社には、国の重要文化財である本殿と、白河院の筆と伝わる木造の扁額が残ります。延喜式内社で、和泉五社の一社に数えられます。岸和田市は、もとは牛滝川上流の水利神として地域の人々に信仰された社と考えられる、と説明しています。本殿は豊臣秀頼の再建と伝わり、文化庁のデータでは1603年の建物です。屋根には正面に千鳥破風が付き、檜皮で葺かれています。扁額は、熊野街道に面した遥拝鳥居に掛けられていたものと紹介され、境内の建物だけでなく、街道から神社を拝む場所とのつながりも伝えています。

時のながれ
- 崇神天皇の時代(伝承) — 大阪観光局の案内は、この時代の創立と、大日照りのときに雨乞いの祈願が行われ、社領600石が寄進されたことを伝えています。
- 白河院にまつわる伝承 — 熊野街道に面する遥拝鳥居に掛けられていた木造の扁額は、白河院の筆と伝わります。岸和田市は府指定文化財として紹介しています。
- 慶長8年(1603年)頃 — 豊臣秀頼が再建したと伝わる本殿の建築年代です。文化庁の文化財データは年代を1603年と記しています。
- 大正3年(1914年)4月17日 — 本殿が国の重要文化財に指定されました。文化庁のデータには、三間社流造・正面千鳥破風付・檜皮葺の建物と記されています。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
文化庁のデータは、本殿の年代・構造・指定日を示しています。これに対し、岸和田市と大阪観光局は、秀頼の再建という伝えや、街道沿いの鳥居に掛けられた扁額の由来も紹介しています。市の説明では、水利神として始まったことは推定、白河院の筆であることは伝承です。扁額のほか、鎌倉期の木造男女神像8体も府指定文化財として紹介されており、本殿とは異なる対象です。今回確認した3資料では、白河院が扁額を書いた具体的な年と、そのときの行程までは確認できませんでした。
境内の現況は現地で確かめていません。扁額や神像の現在の保管場所と、公開される機会は今回確認していません。
この節の確認に使った資料
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの福
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